はじめに

ゆたか
この記事では、私がメダカ屋になった経緯を紹介します。

まず、私の前職は郵便局員でした。
郵便局で働いていた頃の話ですが、ある日の休日に私の父が、私の子たちに「メダカを掬いに行くぞ!」と声をかけてくれました。
それを聞いて「え?孫だけ?なんで俺を誘わんと?俺も行くに決まってんじゃん!」と私もメダカ掬いに半ば強引に同行しました。

メダカがいる場所に到着し、私は子供達と虫網でメダカを掬おうとしますが、なかなか掬えません。
その状況を見るに見かねて父が仕掛けづくり。
さすが大工さん!あっという間に仕掛けが完成!
その間、子達はトンボ採りに夢中(笑)

追い込み漁の要領で、父と子達が奥から仕掛けに向かってバシャバシャと音を立てながら楽しそうに歩いてきます。
それを仕掛けの先で待っている私が掬います。
こんな感じで、仕掛けができてからはメダカを順調に掬うことができました。

子達は掬えたことが嬉しく「じいちゃん!見て見て!」とはしゃぎ、その父と子達のふれあいを少し離れたところから見ていた私は、私が小さかった頃の姿と子達の姿を重ね合わせ、家族とのあたたかい記憶を思い出し、

『メダカって世代を超えて楽しめるんだな~、この子達が大きくなった時、私もこの子達の子供とこうやってふれあいたいな~』

と考えていました。

この時ですね。
私の中でメダカが大きな存在になったのは。

メダカ掬いが終わり、父とメダカを分け、家に帰り水合わせをしメダカ飼育を開始しました。

飼育を開始したものの、私はその当時、メダカ飼育やアクアリウムに対して全く知識がなく、数日後に全滅させてしまいました。

このメダカを全滅させてしまった出来事が私に大きな影響を与えました。

全滅したメダカ達の命を無駄にしてはいけないと、メダカ飼育に関する知識やアクアリウムに対する知識を身に付けていきました。

そして実家で飼っていたメダカを数匹もらい、改めてメダカ飼育を開始!
いろんな問題が起きましたが、その都度対応し、メダカ飼育を順調に楽しむことができました。
熱帯魚も飼いましたが、停電時のヒーターが心配だったのと、フィルターの掃除など大変だったので、生体をホームセンターに引き取ってもらいメダカのみに集中することにしました。

新しい品種のメダカを買いたいと、ホームセンターに行っったとき私は衝撃を受けました。

なんだこの背中が光っているメダカは!?

と、幹之メダカを知らなかった私はびっくりし、一瞬でメダカに魅了されメダカの虜になってしまいました。

そこからは書店やネットでメダカを調べ、数百種類の品種がいることに驚き、珍しいメダカを飼いたい欲求がハンパなく高まり、休みのたびにホームセンターや近隣の県の改良メダカ専門店に出かけていました。
ホームセンターでは品種数に限界があったため、ヤフオクでも卵や稚魚を買っていました。
この時ですね、知識がなかった私はヤフオクの加工画像に、何だこの体色は!?素晴らしい!とヤフオクの洗礼を受けていました(笑)
その経験があり、メダカは現物を見て買うに限ると勉強させられました😅

その当時、九州内の他県には改良メダカ専門店が2、3件ありましたが、宮崎県には私が知る限り1件もありませんでした。
他県のメダカ屋に行くたびに、

この交通費で高くて珍しいメダカを買えるよな~

宮崎県にも改良メダカ専門店があればいいのに

と思うことが多くなり、

私以外にも同じ考えの方がたくさんいるのでは?

と考え、改良メダカ専門店を起業することにしました。

非常~~~~に長くなりましたが、これが私のメダカ屋になった経緯です😅

店舗を開店した数か月後に台風が直撃しハウスのビニールが破けたり、鷺(さぎ)に狙われ数千以上のメダカが犠牲になったり、イタチに店の中を荒らされたりと、毎年、毎年いろんな事が起きますが、楽しくメダカ屋やっています(*''▽'')
こんなゆたかなメダカをどうぞ末永くよろしくお願いいたします。

LINE公式友だち追加はコチラ!

友だち追加

トーク対応時間 9時~17時